オクダはこう思うの。

どんどん書くよ

【雑記】バーバルとアクバル大帝の線をめぐる知恵比べ

昔々、バーバルという賢い道化師がいました。

彼はムガル帝国のアクバル大帝に仕えており、

しばしば大帝はバーバルと知恵比べをして楽しんでいました。

 

ある日、アクバル大帝は床に線を一本引き、こう言いました。

「バーバルよ、この線を短くしてみよ。ただし、どこも消してはならないぞ」

 

周りの臣下たちは皆、大帝の勝ちだと予想していました。

「さすがのバーバルも消せないならどうしようもない」と。

 

しかし、結果はバーバルの勝ちで終わります。

一体どうやったのか?

 

バーバルは、大帝の引いた線の横にもっと長い線を引いたのです。

 

■解決は一つ違う次元で

臣下たちが考えたように、もしも大帝の引いた線のことだけを考えていたらずっと解決できなかったでしょう。一歩引いて周りの空間も活用することでバーバルは解決しました。ビジネスでも「問題解決が仕事である」と言われます。そのときにぱっと思いつく解決策は線を直接消すような対処療法的なものばかりです。それでは根本解決はしないことが多々あります。求められるのは違う次元で考える力です。

 

■時代が求める力

インターネットのおかげで「答え」はすぐに見つけられるようになりました。しかしそれですべての問題を解決できるわけではありません。なぜならば、インターネットから引き出せる答えは「直接的な答え」だけだからです。シンプルな問題ならば、尋ねる問いさえ間違えなければインターネットは無類の強さを誇ります。しかし、世の中の問題は複雑なことが多い。世界を見れば、昔はG7だったものが今やG20となっている。またSDGsのように今後考えるべき課題は全員で取り組まないと解決できない問題ばかりが残っているといえるでしょう。これからの時代では、

  • 課題(問題)を正しく認識する力
  • 課題を解決するために必要な情報を得るために「問い」を立てられる力
  • 集めた情報をまとめて解決するための行動に落とし込める編集力
  • 実際に行動するための実行力

が求められているのだと思います。そのためには「読書」、それもジャンルを問わない「乱読」が有効だと個人的には感じています。

 

 

 ※今回の寓話はここから持ってきました。

【書評】『NEW POWER』これからの世界の「新しい力」を手に入れろ

これまでの世界では、

考えられないような出来事が、

次々と起こっている。

 

国内に目を向ければ、

ZOZO前澤社長によるお年玉企画が、

世間の注目を集めた。

 

たった数日でフォロワーは一気に500万人を超え、

あのギネスにも認定されるほどの拡散力を目の当たりにした。

 

国外では「Metoo運動」のような、

力のない一個人が声を上げて、

最終的には権力者が辞任するまでの、

大規模なムーブメントが起こった。

 

いったい何が起きているのか?

時代を動かしている謎の要因(ニューパワー)を理解するために

画期的なフレームワークを提供してくれたのが本書である。

 

 本書では、「オールドパワー」と「ニューパワー」に

分けて実際に起きた事件を解説していく。

 オールドパワーとは、

少数の人間がパワーを掌握し、

油断なく守り抜こうとする。

権力者は強大なパワーを蓄えており、行使できる。

閉鎖的で近づきがたく、

リーダー主導型。

オールドパワーはダウンロードして取り込み、獲得するもの。

 

ニューパワーとは、

多数の人間によって生み出される。

オープンで一般参加型であり、

対等な仲間によって運営される。

ニューパワーはアップロードして分配するもの。

水や電気のように、

大量にどっと流れるときに最大の力を発揮する。

ニューパワーを手にする者たちの目的は、

溜め込むことでなく提供すること。

 

人は、いつの時代にも、

「世の中に参加したい」という欲求があったという。

しかし、人々が社会に参加したり大勢の人を動員する方法は、

つい最近まではかなり限られていた。

 

だが、「IT」「SNS」のおかげで、

僕らは環境され整えばかつてない速度と規模の組織をつくることができる。

こうしてニューパワーの発揮できる土壌が2010年代にできたのである。

 

ニューパワー=善、オールドパワー=悪という単純な2元論に収まる

かと思いきや、本書は違う立場を取っている。

 

絶大な力をもつニューパワーだが、

使い方によっては負の側面もあることを本書は指摘する。

 

世の中の組織、企業がどの位置に存在するのか。

ぱっと分かるマトリックスを用意してくれている。

 

横軸は、価値観がニューパワーかオールドパワーか。

縦軸は、ビジネスモデルがニューパワーかオールドパワーかを示している。

 

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例えば、

パタゴニアは、価値観はニューパワーだが、モデルはオールドパワーである。

商品開発には自社の人間しか使っていないが、環境保全をアピールし、多くの社内情報をオープンにする姿勢がある。

 

またISISは価値観はオールドパワーだが、モデルはニューパワーである。

情報共有は一方的だが、Twitterをはじめソーシャルメディアを駆使して、リクルートしている。個人としてはトランプ大統領もここに位置する。

 

もともと拡散しやすく一気に噴火しやすいニューパワー。

いつどこでムーブメントは起きるかはわからないが、

本書を読んでおけば、ムーブメントの存在を、

確かなものと感じることができるだろう。

 

NEW POWER これからの世界の「新しい力」を手に入れろ

NEW POWER これからの世界の「新しい力」を手に入れろ

 

 

『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』 書評

世間では、某国の教育を司る最高権力者が、「『教育勅語は現代的にアレンジした形で今の道徳などに使えると言う意味で普遍性を持っている部分があり、検討に値する」と発言をし話題になっている。

 

某国の教育が世界と比べて10年どころか100年遅れていることを大臣自ら世界に宣伝してくれた出来事だったが、世界の最先端教育ではとある大学が話題になっているのをご存知だろうか?

 

その名前はミネルバ大学。「ミネルバ」とはローマ神話にて知恵を司る女神として有名だ。そんな無名の大学、まだ卒業生も出していない大学にハーバード大やスタンダード大などの超一流大学を蹴ってでも参加するエリートが殺到しているという。その秘密を問いてくれるのが本書である。

 

高校生以下のお子さんを持っている両親はもちろんのこと、教育に少しでも携わる方ならば必ず知っておくべきモデルが本書にはある。

 

ミネルバ大学の創設者ベン・ネルソンは、ペンシルバニア大学ウォートンスクールの学生で、既存の大学のカリキュラムを見直し、教授に改善提案をする学生団体に入って誇らしい成果をあげていた。しかし、この早すぎた成功に彼は満足しなかった。改善できたのは氷山の一角に過ぎない。大学教育そのものを変える提案をしたがそれは許されなかったのだ。いくらキャンパス内で一番有力な学生であろうが、彼はあくまでもイチ学生に過ぎなかったのだ。

 

会社員になり、バイアウトも経験、CEOにまで上り詰め、社会の成功者になった彼だが、ふと気がつくと10年以上月日が流れたいた。立ち止まって考えるには十分な金銭的余裕があり、学生の頃になし得なかった挑戦を再度行おうと決めた。

 

ここからリスタートを切った彼のアイデアへは拒絶から始まった。

世界一の大学を創ります。これをゼロから立ち上げるつもりです。 

 起業家の前でこう語った彼へは、皆が口々にできないと言う。中にはかのピーターティールにも否定されたが、飛躍するためのヒントをくれたのは彼だけだ。

学部教育で最高のブランドをつくるには最高の学生を手に入れる必要がある。しかし、最高の学生を手に入れるには最高の大学であるというブランドを持っている必要がある。 

 この言葉をヒントに、

・ハーバード元学長のラリーの協力

ベンチマークキャピタルから30億の資金調達

シリコンバレーで最も尊敬されるエンジニアであるジョナサン・カッツマンの参加

など野心的な取り込みを行い、メディアの注目を集めることができた。

目標は「21世紀最初の真のエリート大学」になること。そしてミネルバ大学を多くの教育機関が真似て教育を変えること。

こうしてミネルバ大学はたった4年で順調に動き出したのである。

 

では、そんなミネルバ大学にはどんな魅力があるのだろうか。わかりやすく理解するためにはまずはじめに大学が抱える4つの問題を知らなくてはならない。

1)大学と実業界が学生に求める技能に対する大きな乖離

2)学習効果が低い講義形式での授業

3)国際化への対応の遅れ

4)とどまることのない学費の高騰

上記4点の課題をすべて解決するための、

カリキュラム、仕組みをミネルバ大学は持っている。

 

1)大学と実業界が学生に求める技能に対する大きな乖離

→知識を得ること以上に大事なことは、知識を実行に移し、問題を創造的に解決できる力である。そんな能力を身につけるため、思考力と対人コミュニケーション力を徹底的に学習させる。そしてそこで得た力を実践できるように社外にて企業活動やボランティアに従事する。

 

2)学習効果が低い講義形式での授業

→すべての授業をオンラインで行っており、最低でも授業中の75%はグループワークや能動的な作業を行わせている。科学的にも少人数でのセミナー形式での授業が一番効率が良いことがわかっている。

 

3)国際化への対応の遅れ

→意外に思うかもしれないが、世界のトップ大学の留学生比率はわずか10分の1に過ぎない。※ちなみに東京大学の留学生比率はわずか1.4%・・・

そんな中、ミネルバ大学では、7か国の滞在都市にある寮を移動しながら勉強していくスタイルをとっている。短期間の旅行では学べないことが実際に住んでみるとわかることがたくさんあるのだ。

 

ちなみに選定都市は変更もあるが、

・ソウル、台北、ハイデラバード、ベルリン、ロンドン、サンフランシスコ、ブエノスアイレスである。

 

4)とどまることのない学費の高騰

→年間150万程度の学費がかかるとのこと。これはトップ大学の4分の1程度の学費である。オンラインなのに高くないか?とのツッコミはあるだろうが、校舎など無駄なところではなく学習効果が出るようにお金を使っているとのこと。

 

この本の著者は元ミネルバ大学日本連絡事務局の代表の方で読んでいて教育への思いが本からも伝わってくる方だ。

特に、選定都市にライバルである韓国、台湾の都市が入っているのに、日本の都市が入っていないことは著者だけでなく読者である私も非常に残念に思う。

 

まだまだガラパゴスなままの日本の将来を改めて憂うとともに、新たな時代の変化を感じられる有意義な本だったと思う。

世界の潮流であるグローバル化は、

ヒト・モノ・カネの移動を自由にした。

モノ・カネは既に自由に移動できるが、ヒトに関してもようやく本格的に動き出してきた。都内では外国人を見かけない日はありえない。当たり前の日常が少しずつ変わっている中、我々にできるのは「適応」しかない。

 

世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ

世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ

 

 

【書評】『生の短さについて』

世の中には何度も読み返したくなる名著なるものが存在します。

そして、名著は人によってさまざま。

名著とは、「その時々で読み手に必要な気づきを与えてくれるもの」

と私は思いますが、いかがでしょうか。

 

たぶん2000冊くらいは読んでますが、

毎年読み返している本はわずか数冊。

 

その中でも私のバイブルなる本が、

本書「生の短さについて」です。

 

何事を為すためにも「時間」という資源を使う必要があります。

寝るのも、仕事をするにも、ご飯を食べるのも、

全部「時間」という資源を使って行っています。

 

意識しなければ空気のように当たり前に存在しているので、

何も感じませんが、お金持ちだろうと貧乏人だろうと、

全員平等に分け与えられている資源が「時間」なのです。

 

そんな「時間」をどう扱うべきかは、

古来からの悩みでもあり、皆さんも気になっていることでしょう。

本屋にいくと様々な時間術に関する本を目にします。

 

中でも、何回読んでも新しい気づきを与えてくれるのが、

ローマの哲学者セネカの書いた「生の短さについて」です。

 

誰もが「時間」は足りないものと感じていますが、

セネカは逆のことを説きます。

 

われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている

 

なんと!時間はたっぷり与えられている。とセネカは言います。

しかし、 

われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する 

私達の使い方が下手だから、無駄な時間を過ごしてしまうのだと説いています。確かに、暇さえあれば、YouTubeで動画をついつい見てしまったり、思い当たる節はあります。

 

また、時間は誰もが平等に与えられているものなので、

大切にせず雑に扱う傾向があるのです。

自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。財産を維持することでは吝嗇家でありながら、時間の消費となると、浪費家に豹変してしまうのである。

耳が痛い言葉。お金の貸し借りはシビアでも、時間はついつい軽い気持ちで貸し借りをしてしまいます。たとえば、会議の時間や、質問をするときなど。

相手の時間も大事なものとして認識した上で、貸し借りをしていきたいものです。

 

希望があるとすれば、時間はたっぷり与えられているので、

使い方さえ学べば改善できること。

そしてコントロール権は我々の手の中あることです。

 

セネカは、時間を3つの区分で分けています。

生は3つの時期に分けられる。過去、現在、未来である。このうち、われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確実であり、過ごした過去は確定している

当たり前ですが、時間は過去、現在、未来のどれかに分類されますが、われわれが過ごすことのできる(コントロールできる)のは、現在しかありません。

なおかつ過去、未来に比べて現在はあっという間に過ぎてしまう。

 

残念な人として挙げられているのが、忙しい人と、余暇を堪能できない人です。

 

心を亡ぼすと書いて、忙しい。

忙しい人は当然、一番大切な現在をなおざりにしがちなので、不確実な未来か、変更のできない過去に目を向けて生きがちです。

 

また、忙しさから解放されてようやく余暇を手に入れた人は、

余暇に何をしたら良いのか?余暇に耐えきれなくなり、

また忙殺される日々を懐かしむというおかしな現象が起こります。

 

このあたりはパスカルの「パンセ」にも書かれています。

 

これは仕事オンリーで生きてきて、定年退職を迎えるお父さんに

多い現象ですよね。自分の時間を埋めてくれていたものを懐かしむ。

人生とは単純に時間を何に使っていたかで決まりますからね。

 

過去も未来もとても素敵な時間ですが、

本当に目を向けるべきは現在であるとセネカは教えてくれます。

そして忙殺されているとただでさえ短い現在は、あっという間に過ぎてしまう。だから、意識して今を生きていこうと言っているかのように、

読んでいて思いました。

ホリエモンもそんなことを言っていた気がします。

 

すごく当たり前のことが書いてあるのですが、われわれは「時間」の使い方がおそらく下手です。

 

なぜ下手なのかというと、「時間」は空気のような存在であって当たり前だからかと思います。

 

無限ではなく有限なのだと意識すること。

それだけでも一日一日の輝きが違うと信じています。

 

結局、人生とは時間を何に使ったのか。なのだから。

あなたはどんな人生にしたいですか。

自分に問うたら、自ずと使いみちも決まるかと思います。 

 

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

 

 

【書評】『自省録』マルクス・アウレリウス・アントニウス著

政治家や経営者など著名な人は回顧録を書くことがよくある。

オバマもトランプも孫正義もジョブスも皆書く。

公式な記録に近い回顧録を書くことはよくあっても、

私的な手記を一般に公開する人は現代であっても少ない。

 

本書は、人類史上最も幸せな時代と評されたパクス・ロマーナが終わりを迎えつつある中、なんとか立て直そうとしたローマ皇帝の書き残した手記である。

皇帝の名前はマルクス・アウレリウス・アントニヌス

 

かの哲学者プラトンは「国家」にてこう記した。

「哲学者を王とする国政が一番」だと。

プラトンの理想を唯一実現したのが、

哲学者でもあるマルクス・アウレリウス・アントニヌス

彼自身は学業優秀で読書好きな青年だったが、時代は彼を次期皇帝へと導く。

書物は捨てて、皇帝として現実と向き合わなければならない。

そんな自身が抱える葛藤や悩みを文に吐露したものが自省録である。

 

この本は、日々の生活で葛藤や壁にぶつかりながらも、

逃げることなく立ち向かわなければならないすべての人を勇気づけてくれる。

 

皇帝就任後、自身の子供を3人も失うだけでなく、天災や敵国の侵攻など次々と難題が降ってくる。共同統治者の義弟ルキウスとともに、前々帝のハドリアヌスの時に最大となった領地を統治するため全力を尽くしていく。

 

しかし、このルキウスがどうにも残念な人で、

東方の責任者を任していたがライバル国のパルティア(ペルシャ)にボロ負け。

マルクスが援軍を派兵してなんとか勝利へと導いた。

 

ハドリアヌス帝以来の凱旋パレードに市民は沸き立つが、

東方からの帰還兵が持ち込んだ、

「アントニヌスの疫病」と呼ばれる天然痘の感染爆発を引き起こしてしまった。

また、東方が落ち着いたとともに、今度は、北方のゲルマン人が暴れだす始末。

 

これにルキウスとともに北方にいくも、硬直状態が続き、陣営生活を強いられることに。

田舎(ローマから見たら)の生活に耐えられなくなったルキウスは、

勝手にローマ(都市)へ帰還するも途中で病死。。。

最後まで残念な義弟だが、ショックなのはマルクス本人。ここまで育てたのに。。。

 

最後の最後までトラブル続きで休む暇のないマルクスは、

せめて自分の心の内だけは平穏でいられるように心がけていた。

しかし、ある日彼は鏡で自身の姿を見て気づくのである。

「気づけばもうこれほど歳をとってしまった」と。

「長い自然の流れに対して人の一生というものは一瞬に過ぎない」

「だから今目の前の現実に誠実に取り組むこと」の大事さを言っている。

 

誰もがハッと気付かされる言葉だろう。

気づいた頃には遅い。過去も未来もなくて、あるのは今だけなのだ。

ストア哲学者として心の平穏を求めるも時代がそれを彼に許さなかったところに、

読者は悲しさを感じることでしょう。

 

それでも彼は、青年期に学んだストア哲学の理想である、

何ものにもとらわれない生き方を皇帝という立場でありながら、

実現しようと懸命に生きたのである。

 

現代社会もコミュニケーションツールが発達して、24時間誰かと繋がりっぱなしの時代となったが、マルクスに比べるとまだまだ余暇があるのではないか。

当時の最高権力者がいくら望んでも得られなかった幸せを、

現代は誰もが得ることができる。

そう思うと明日も頑張れる気がする。

 

 

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

 

 

 

【書評】『世界の日本人ジョーク集』

記録的猛暑が日本中を包んでいる中、特に都会は地獄だ。

 

クーラーをガンガンに効かせたオフィスはいいものの、

一歩でも外に出ると、自然の猛暑にプラスで室外機からの熱風が、

容赦なく襲ってくる。

 

「もう嫌だ」「出たくない」

そんなおり、私のような企業戦士のオアシスが、

コンビニである。

 

入って最初に駆け込むのは、アイスコーナー。

それから、氷の入ったカップを手に取り、

レジへ直行。

 

そこで見かける店員は外国人ばかり。

あれ?日本人は何処へ。。。

 

そう。

新宿のコンビニは外国人の方が大半だ。

少し前はアジア系の人が多かったのだが、

最近は、もっと遠方出身の方もちらほら。

 

これからは、アメリカよろしく、

日本も多民族国家の時代に近づいているのだ。

 

  • フランス人=美食家
  • イタリア人=カサノバ
  • ドイツ人=真面目

こんな感じに何となく国民性みたいなイメージはあると思う。

では、我々日本人は外国人からはどう見られているのか?

 

前置きが長くなったが、

それをおもしろおかしく紹介してくれるのが本書である。

 

特に面白かったエピソードを一つ紹介しよう。

 

豪華客船沈没!

 

ある豪華客船が航海の最中に沈み始めた。

 

船長は乗客に速やかに船から離れて、

海に飛び込むように指示をしなければならなかった。

 

船長は、それぞれ外国人乗客にこう言った。

 

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」

イギリス人には「飛び込むことが紳士としてのマナーです」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則です」

イタリア人には「飛び込めば女性にモテますよ」

フランス人には「絶対に飛び込まないでください」

 

そう言うと、皆飛び込んだが、

ただ一人だけ、飛び込まない乗客が残っていた。

 

最後の乗客に対して、船長はこう言った。

「みんな飛び込んでますよ」

そう言って安心したのか、最後の乗客も飛び込んだ。

 

最後の乗客は日本人でした。

 

 

集団心理に弱い日本人の性格が現れた秀逸なジョーク。

この本は2005年の本なので正直少し古いと感じることも少なくないが、

そこはあくまでもジョーク集として見ることができる。

 

モノ・カネだけでなく、ついにヒトも、

垣根を超えて日本にどんどん来ている中、

否が応でも日本人として意識をする機会が増えてくる今、

参考になる本だと思う。

 

 

世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)

世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)

 

 

【雑記】会社というシステムは代替可能に。

神田昌典氏は、2024年には会社がなくなると予言した。

はじめは何のことやらさっぱりだったが、最近分かる気がしてきた。
 
その要因はやはり「テクノロジー」である。
 
これまで何かを手に入れるには「市場」に参加する必要があった。
しかし、「市場」は誰でも気軽に参加できるわけではない。
 
参加するには、「信頼」が必要であり、
それを担保するために「会社」があるのだ。
 
オクダが個人で部品を買うよりも、
トヨタの看板背負って買い付けるほうが良いのは当たり前。
 
どこの馬の骨ともしれぬオクダと取引するよりも、
セカイのトヨタのほうが信頼度が圧倒的に違うので、
会社のが個人よりも有利であった。
 
また、投資家からお金を集めるにも、
個人より信頼がある会社が有利だ。
 
そもそも個人では株式市場から調達できないし、
個人債権も発行できない。
しかし、会社ならば、社債も発行できるし、
株式から資金調達も可能。
 
 
上記、要素からみていくと、
そもそも会社の役割とは、「信頼」にあるといえる。
 
ビフォーインターネットの時代では、
個人が市場から何かを調達することは、
不利でしかなかった。
 
だが、近年メルカリを筆頭にCtoCビジネスが盛んになってきており、
会社を通さずに、個人間で市場を使ってやり取りできるような時代になった。
もちろん、インターネットのおかげだ。
 
昔はローカル×ローカルで口コミで繋がっていたのが、
今では、ユーチューブに投稿すれば、世界中の人と繋がることができる。
SHOWROOMというサービスを使えば、
自分のファンから直接おひねりをもらうこともできる。
所属事務所という中間マージンを省くことができる感覚。
 
イーベイやヤフオクの例をあげると、
インターネット上では、各個人の信用度が履歴として残る。
なので、囚人のジレンマにおける裏切りはインターネット上では賢い選択ではなくなるのである。
 
こうして、今まで会社が担保してきた「信頼」については、
正直者が得をするシステムをインターネットが作り上げたので、
不要になった。
 
もはや個人で、「プラットフォーム」を利用すれば、
誰でも「市場」から「人」「モノ」「お金」を調達し、
「市場」で売ることができる時代。
 
だから、会社いらないよねって話。
 
 
もちろん、大規模な取引とかは残るけど、
会社というシステムが果たしてきた「信頼」の担保という役割を、
代替できる環境が整ってきたのは間違いない。