【書評】『生の短さについて』
世の中には何度も読み返したくなる名著なるものが存在します。
そして、名著は人によってさまざま。
名著とは、「その時々で読み手に必要な気づきを与えてくれるもの」
と私は思いますが、いかがでしょうか。
たぶん2000冊くらいは読んでますが、
毎年読み返している本はわずか数冊。
その中でも私のバイブルなる本が、
本書「生の短さについて」です。
何事を為すためにも「時間」という資源を使う必要があります。
寝るのも、仕事をするにも、ご飯を食べるのも、
全部「時間」という資源を使って行っています。
意識しなければ空気のように当たり前に存在しているので、
何も感じませんが、お金持ちだろうと貧乏人だろうと、
全員平等に分け与えられている資源が「時間」なのです。
そんな「時間」をどう扱うべきかは、
古来からの悩みでもあり、皆さんも気になっていることでしょう。
本屋にいくと様々な時間術に関する本を目にします。
中でも、何回読んでも新しい気づきを与えてくれるのが、
ローマの哲学者セネカの書いた「生の短さについて」です。
誰もが「時間」は足りないものと感じていますが、
セネカは逆のことを説きます。
われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている
なんと!時間はたっぷり与えられている。とセネカは言います。
しかし、
われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する
私達の使い方が下手だから、無駄な時間を過ごしてしまうのだと説いています。確かに、暇さえあれば、YouTubeで動画をついつい見てしまったり、思い当たる節はあります。
また、時間は誰もが平等に与えられているものなので、
大切にせず雑に扱う傾向があるのです。
自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。財産を維持することでは吝嗇家でありながら、時間の消費となると、浪費家に豹変してしまうのである。
耳が痛い言葉。お金の貸し借りはシビアでも、時間はついつい軽い気持ちで貸し借りをしてしまいます。たとえば、会議の時間や、質問をするときなど。
相手の時間も大事なものとして認識した上で、貸し借りをしていきたいものです。
希望があるとすれば、時間はたっぷり与えられているので、
使い方さえ学べば改善できること。
そしてコントロール権は我々の手の中あることです。
セネカは、時間を3つの区分で分けています。
生は3つの時期に分けられる。過去、現在、未来である。このうち、われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確実であり、過ごした過去は確定している
当たり前ですが、時間は過去、現在、未来のどれかに分類されますが、われわれが過ごすことのできる(コントロールできる)のは、現在しかありません。
なおかつ過去、未来に比べて現在はあっという間に過ぎてしまう。
残念な人として挙げられているのが、忙しい人と、余暇を堪能できない人です。
心を亡ぼすと書いて、忙しい。
忙しい人は当然、一番大切な現在をなおざりにしがちなので、不確実な未来か、変更のできない過去に目を向けて生きがちです。
また、忙しさから解放されてようやく余暇を手に入れた人は、
余暇に何をしたら良いのか?余暇に耐えきれなくなり、
また忙殺される日々を懐かしむというおかしな現象が起こります。
このあたりはパスカルの「パンセ」にも書かれています。
これは仕事オンリーで生きてきて、定年退職を迎えるお父さんに
多い現象ですよね。自分の時間を埋めてくれていたものを懐かしむ。
人生とは単純に時間を何に使っていたかで決まりますからね。
過去も未来もとても素敵な時間ですが、
本当に目を向けるべきは現在であるとセネカは教えてくれます。
そして忙殺されているとただでさえ短い現在は、あっという間に過ぎてしまう。だから、意識して今を生きていこうと言っているかのように、
読んでいて思いました。
ホリエモンもそんなことを言っていた気がします。
すごく当たり前のことが書いてあるのですが、われわれは「時間」の使い方がおそらく下手です。
なぜ下手なのかというと、「時間」は空気のような存在であって当たり前だからかと思います。
無限ではなく有限なのだと意識すること。
それだけでも一日一日の輝きが違うと信じています。
結局、人生とは時間を何に使ったのか。なのだから。
あなたはどんな人生にしたいですか。
自分に問うたら、自ずと使いみちも決まるかと思います。